Profile
林 敏之
感動人生プロデューサー
実績
- ラグビー日本代表で13年プレー 神戸製鋼では7連覇 キャプテンも務める
- 第1回ラグビーワールドカップキャプテン
- オックスフォードに留学、ケンブリッジとの定期戦に出場し、プルーの称号を得る
- オックスフォード歴代ベストプレーヤー選出 世界選抜バーバリアンズでもプレー
- 1989年、山籠もり研修を体験し、行動科学、禅、東洋哲学などに目覚める
- 現役引退後ラグビーで体験した感動を伝えようと、感性教育をテーマに活動を始める
- 涙のデトックス・感動体質生まれ変わりセミナー(感性フォーラム)を立ち上げ140回開催 受講生は1000人を超える
- リーダーシップやチームビルディングなどの講演は延べ1000回を超え、10万人が感動した
経歴
徳島に生まれラグビーに出会う。全日本高校代表を皮切りに、日本代表を13年間務め、神戸製鋼では7連覇を達成。同志社大学、神戸製鋼所、日本代表ではキャプテンを務めた。第1回ラグビーワールドカップキャプテン。オックスフォードに留学しケンブリッジとの対抗戦バーシティーマッチに出場し、ブルーの称号を得る。オックスフォード歴代ベストメンバーにも選ばれた。世界選抜バーバリアンズでもプレー。現役引退後はラグビーで体験した湧き上がる感動を伝えようと、教育の道を志し、感性教育をテーマに活動し、講演や様々な研修も開催している。感性フォーラム(涙のデトックス・感動体質4日間生まれ変わりセミナー)は、開催140回を超え、体験者も1000人を超える。上場企業経営者も多数体験。講演活動は1000回を超え、10万人以上が感動した。感動人生創造プロデューサーとして活躍中。NPO法人ヒーローズを設立して理事長に就任、各地でラグビー寺子屋を開催し、小学生のラグビー大会ヒーローズカップは日本で一番大きな小学生の大会になった。
Story
私の人生はラグビーなしでは語れません。
私には凄まじい劣等感があった。人と話をするのが苦手だった。友達をうまく作れなかった。鮮やかに生きたいのに生きられない、そんな自分が好きになれなかった。当時は胸が痛かった。胸が痛くて眠れない夜もあった。
中学に入りサッカー部に入った。運動神経は悪くなく、1年からレギュラーになった。ところが、周りとうまくやれず、浮いてしまったような気がして、それがいやでいやで「こんなチームやめたるわ!」と喧嘩みたいになってやめてしまった。ケツを割った。
私の行っていた中学にはラグビーをやっていた先生がいて、その先生がいた時にだけあった県下で唯一のラグビー部があった。ラグビーの皆なが、そんな私を誘ってくれた。じゃあラグビーをやってみようか、こんなきっかけでラグビーに出会った。
17才の時、高校ジャパンに選ばれ、オーストラリアに遠征した。初戦、桜のマークのついたジャージを着て、ロッカールームの片隅でスクールウォーズのモデルになった、山口先生に檄を入れられた。
「おい、皆集まれ。手を繋げ・・。いいか?みんな待っているぞ? お前らが勝ったっていう知らせを。日本でなあ、お前達のお父さん??お母さん 学校の先生も、協会の人も、みんな待っているぞ?」
涙がボロボロこぼれた。ラグビーの試合の前に初めて泣いた。泣きながらグラウンドに出て、無我夢中に戦った。
涙を流してグラウンドに出て、命をかけて戦う、そんな熱いラグビーに出逢わせてもらった。以来、そんなラグビーをずっと続けて来た。
大好きなラグビー人生の中にも何度か挫折はあった。神戸製鋼でキャプテンを2年間やった。膝を悪くし、思うようなプレーもできず、メンバー達と気持ちが通じ合わず、葛藤した。それでも優勝できると信じていたが、1回戦で敗退して、キャプテンを降りた。皆の信頼をなくしラグビーをやめようと思った。
慰留されチームには残ったが、それからの1年間は、キャプテンの時にできなかったことを取り返すための1年間だったように思う。ひざのけがに悩み、ラグビー人生が終わりそうになった時、当時のラグビー部長に呼ばれて言われた。
「林君、君はこのままラグビーをやめてもいいのか?」私は黙っていた、ふてくされて。心の中では、「うるさいわ!やかましいわ!」と思っていた。
そんな私に部長がこう言ってくれた。「林君、君それは、失礼だろう!今までラグビーを教えてくれた、中学の先生、高校の先生、同志社大学の岡先生に対して、お前は失礼だと思わないのか!」
この言葉は胸に刺さった。感謝を忘れていた自分に気づき、このままではラグビーを恨んでしまうと思った。それから懸命にリハビリをした。
また山籠もりのセミナーにも出会った。原宿を作った男と言われた松本瑠樹さんに進められ、ある研修を受けた。自分を見つめ、周りの人たちとの人間関係を見直し、大きな声で叫ぶことにより、素敵な自分との出逢いができた。腹の中に青空が広がり、前よりも自分が好きになり、エネルギーに満ち溢れた。ラグビーへの思いや理解も深くなった。
全国大会の1週間前に、復帰する事ができ、そのシーズンチームは勝ち進み初優勝する事ができた。
ノーサイドの笛がなった時、キャプテンの平尾さんがやってきて、「林さん賞状をもらってきてよ」普通キャプテンが行くものだから「何言うてるねん」というと「いや林さん、これもらえるのは林さんしかないですよ!おい、皆林さんに行ってもらうぞ!」と表彰状の授与を譲ってくれた。涙がボロボロあふれた。私の最高の思い出です。
それからも現役を続けたが、ラグビーを通じて人に出逢い、様々な価値ある体験をし、止めどもなく涙が湧き上がる感動を体験した。涙があふれた時、私は紛れもなく私であり、人間として最高に素晴らしい、真実の瞬間があった。感動が心を揺さぶり、心を揺さぶる事が私の感性を育んでくれたのではないかと思う。
山口先生が「いいか、みんな待っているぞ!」と言って教えてくれたのは・・・。待っていてくれる人がいるよ。お前の頑張りを、活躍を、期待してくれる人がいるよ。思いを寄せ、見守ってくれる人がいるよ。その人達のためにも・・、頑張ろう。そんな人に対する感謝の気持ちだったのかもしれない。
ラグビーの哲学は、「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」。「ONE FOR ALL」、は人のために何かをしてあげようという事。感謝の気持ちがあってこそ、人のために何かができる。その元になるのは、「有り難い」と言う感謝の心なのだと思います。
現役を引退し、体験した感動を伝えられたらと思い、教育の道を志し、感性教育をテーマに活動してきました。
ラグビーとは漢字で楽苦美と書きます。楽しく苦しく美しくと読んでほしいです。
試合は楽しい、しかし練習は苦しい、その苦しさを乗り越えてこそ美しいトライが生まれる、美しい友情が生まれる。人生もまた同じだと思います。
楽しいことだけでなく、苦しい事、辛いこと、悲しい事、悔しい事があるからこそ、それを乗り越えて人は美しく生きるのです。
人生の様々なことに向き合った時に、涙と共に感性の奥から湧き上がるものが生まれます。どろどろとしたものに向き合い涙が湧き上がった時に、涙の奥にいる素敵な自分と出逢えるのです。その時にエネルギーが湧き上がってきます。
貴方が感動して鮮やかに生きる、感動人生のヒーローになる、そんな感動人生を一緒に創造きればいいなと思っています。